2023年01月08日

「タネが危ない」(野口勲著、日本経済新聞出版社)

 2011年出版の本なので、今さらではあるんだけど、面白く読みました。

20230108-1.jpg

 タネの話のはずなのに、いきなり著者が手塚治虫の担当編集者になって「火の鳥」の原稿を受け取った話から始まる。なんじゃこれ、シニアにありがちな自分語りの本なんか??と一瞬思ってしまう。そういう面がないとは言えないが、それだけで済む話ではない。著者の手塚治虫愛は確かにちょっと過剰ではあるけれども、「生き物が命をつないでいく営み」という点で、「タネ屋」の仕事につながっていく。

 著者は、F1(一代雑種)のタネがあまりに流通しているために、固定種のタネが消失するのではないかと危惧している。食料を効率よく生産し、産業化するための F1 品種の利点は認めつつも、固定種の生命力を維持することは必要だ、と主張する。

 固定種は、タネを採取して、播いて育てる、というサイクルを繰り返すことによって、栽培地に次第に馴染んでいく、と言われている。本書にも、その実例が紹介されている(98ページ「『桃太郎』よりおいしい固定種のトマト」)。世代交代を繰り返すことで、栽培地に適した形質が現れる、というのは確かにあっても良さそうな話だが、それがわずか3〜5年で起きるというのは驚きである。生命の進化を実験的に再現しているとも言える。

 「第5章 ミツバチはなぜ消えたのか」は、最初に「ここからは僕の仮説、まったくの仮説だ」と断り、さらに「あとがき」にも「(信じているのは)75%」と書かれている通り、かなりの勇み足である。文脈から切り取られて一人歩きすると危ないなあ、と感じた。試しに「F1野菜 危険」というキーワードでネット検索をしてみたところ、やはり「F1野菜を食べると……(以下略)」という危なっかしい記事タイトルや YouTube 動画がいくつか見つかった。中身をざっと見てみた印象では、ガチの農業生産者や菜園をやっている人はあまり変なことは言ってないが、育児・オーガニック・アンチエイジング方面などの人はおかしな結論に走っていることが多かった。仮説を発表することにも意義はあると思うんだけど、「まだ立証されていない仮説」と「すでに立証された事実」の区別がつかない人に届いてしまうと、なかなか面倒なことになる。

 「付録」に書かれた次の一節は印象に残ります。うちの父は、一部の野菜(ルッコラなど)についてこれを実践しています。私もあとに続きたい。

自給用野菜、家庭菜園の世界は、別の視点、別の価値観を持っていただきたいと思う。毎日野菜の顔を眺め、声をかけ、収穫し、できればそのタネを採り、またそのタネを播く。すると野菜が友だちになり、家族の一員になる。

(本書174ページ)

 もっとも、次の一節はちょっと行きすぎかな。気持ちはわかるんですが。

そのタネは、あなたが亡くなった後も、家族の手によって採り継がれ、子孫の体の一部になるかもしれない。もしそうなったら、そのときあなたは永遠の一部になるだろう。

(同上)

 いやいや、家族はそんなことを押し付けられたら迷惑でしょうよ……別に永遠の一部にならんでもいいし。まあ、せめて植物の永遠のサイクルの一部だけでも体験できたら楽しいですよね。

タグ:読書
Posted at 2023年01月08日 23:59:17
email.png