2023年06月04日

名古屋城復元の市民討論会:こんな暴言吐く人いるんだ??

 朝日新聞配信のこのニュースを見てびっくりしました。名古屋市が主催した名古屋城復元についての市民討論会の中で、天守最上階まで車いすを運べるエレベータを設置してほしい、という意見が出た後、他の参加者からこんな発言があったとのこと。

「河村市長が作りたいというのはエレベーターも電気もない時代に作ったものを再構築するって話なんですよ。その時になぜバリアフリーの話がでるのかなっていうのは荒唐無稽で。どこまでずうずうしいのかっていう話で。我慢せえよって話なんですよ。お前が我慢せえよ。エレベーターを付けるなら再構築する意味がない」 (下線部引用者)

 こんな発言を、公の場で面と向かってする人がいる、ということにまず驚きました。ちなみに、同席していたと思われる河村市長は「よう聞こえなかった」とした上で、特に問題視していませんでした。その場で「聞こえなかった」とはいえ、内容を聞かされた上で意見を求められたわけだから、「市長は、当該発言の内容を把握した上で問題視していない」という理解でよいと思います。

 どこからどう見てもひどい発言ですが、自分がその場にいたとしたらどう対応したか、と想像しながら、考えをまとめてみます。

 上記下線部の「ずうずうしい」とか「お前が我慢せえ」という発言内容は、最初に意見を出した人(車いすユーザーだそうです)に対する不当な侮辱です。市民討論会では、参加者が不当な侮辱を受けることなく発言できることは大前提です。この観点から、討論会の主催者である名古屋市長は、この部分の撤回・修正を発言者に求める責任があります。上記の河村市長の発言を見ると、市長としての責任を全く果たしていません。

 侮辱的な表現は改めていただいたとして、当該発言の内容を再検討すると、「車いすユーザーが天守最上階に登ることが困難なのは、車いすという障害を持つ人が受け入れるべき『やむを得ない不利益』なのか」ということになります。これは、「何のために名古屋城天守を復元するのか」という問題と関わってきます。名古屋市としてどういうメッセージをそこに込めるのか、ということです。建築当時の状況を忠実に再現することで、文化的価値を見出そうとしているのか、それとも観光資源として名古屋城天守を活用して、名古屋への観光客を増やそうとしているのか。

 私見ですが、再現したものに大した文化的価値があるとは思えないので、観光資源として活用する方向で考えた方がまだマシじゃないかと思いますし、そうであればエレベーターはつけた方がいいでしょう。「車いすの人なんて来てもらわなくていい」と考えている都市に、わざわざ観光に行こうと思わないですよ。だって、他にも「〜の人なんて」があるかもしれないし、その「〜」に自分があてはまるかもしれないじゃないですか?

 実は、名古屋にはそういう「明記されていないけどヨソモノを排除する空気」が拭い難く存在しています。年配者にはもう期待できないけど、若い人はとにかく一度は名古屋を出た方がよいですね。外で暮らした経験を通して名古屋を見れば、また違った景色が見えてくると思います。

タグ:社会
Posted at 2023年06月04日 23:40:00

2023年05月28日

木たち・花たち・野菜たち

 ナツミカンは元気ですが、ハモグリガの被害がちらほら出てきました。見つけ次第つぶしています。週一でニームオイルの噴霧もやってます。

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 ユリが咲き始めました。今年はオレンジと黄色が多いです。真紅のつぼみも1つあります。白にピンクが入った花も1つ咲いてるんですが、写真ではちょうどナツミカンの葉っぱに隠れてしまっています。来年はこの球根を掘り上げて、真ん中に移してあげようかな。

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 ステラミニトマトの苗ですが、イマイチ元気がありません。水切れは起こしてないはずだけど、土が合ってないのかな?

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 ミニトマトを定植予定の畑には、すでにシソが繁茂中です。目下ヨトウムシにやられまくっています。昨日の朝に4匹駆除しました。

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 さて、新顔を植えました。ササバナンテンです。フラワーセンターで買ってきました。日当たりのよくない場所ですが、まあ大丈夫でしょう。ナンテンだし。

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 花壇も春夏の花に入れ替えました。これもフラワーセンターで苗を買ってきたものです。ペンタスが主で、マリーゴールドっぽいやつ(品種がわからん)とロベリア(青と白)です。ロベリアは夏に弱いそうなので、ちょっと時期を逸したかも。

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タグ:園芸
Posted at 2023年05月28日 18:43:29

2023年05月18日

「テロルの原点」(中島岳志著、新潮文庫)

 1921年に財閥トップの安田善次郎を無名の青年が殺害した事件について、犯人の朝日平吾の半生をたどり、背景について考察した書です。2009年に筑摩書房から出版された「朝日平吾の鬱屈」を改題して、2023年2月に文庫化された。

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 文庫版のまえがきでは、もちろん安倍晋三元首相の暗殺について述べられている。それは、著者の中島氏にとって「最も恐れていたこと」だった。なぜ中島氏がこのようなテロ行為が起きることを「恐れていた」かは、原著本文の最終章である「おわりに —— 二〇〇九年六月」に、まるで予言するかのように書かれている。

私は、現代日本社会でテロが起きてほしくない。本当に起きてほしくない。

しかし、このままでは、安田善次郎刺殺事件のような出来事が起きてしまう可能性が充分にある。

だから、そんなテロが起きないように、社会を立て直していかなければならない。多くの人の居場所を作っていかなければならない。(後略)

本書 244〜245ページ

 中島氏はまた、原著の「はじめに」の中で、赤木智弘氏の「希望は、戦争。」論(2007年)についても触れている。赤木氏と中島氏は1歳違いで、ともに「氷河期世代」に属する。中島氏は、赤木氏が語る「屈辱」「尊厳(の回復)」といった言葉が、朝日平吾の抱えていた実存上の問題と相通じることを指摘する。そして、この問題を生み出した社会的背景として、大正後期と現代に共通する「格差社会における潜在的な鬱屈」があるとする。

 中島氏はこの本の中で、朝日平吾の半生を追っていく。個々のエピソードを表面的に読めば、「いやそりゃうまくいかんでしょ」と感じる点も多い。つまり「自己責任」論だ。しかし、本書から読み取るべきメッセージは、朝日平吾がしょうもない奴だった、ということではない。朝日平吾の行動を、そういう「個人的な性癖」に矮小化してしまってはいけない。一方、「社会が悪いからこういうことになった、やむなく事件を起こした朝日平吾は社会の犠牲者だ」と読むのも筋違いである。いくら社会が悪かったとしても、人を殺すことはダメに決まっている。犠牲者は安田善次郎で加害者が朝日平吾である、という事実は変わらない。

 私が本書から読み取ったのは、「社会から疎外された人が鬱屈を抱え、それが暴力として現れる」という普遍的な過程が存在すること、およびその過程が現代の日本社会にも共通していること、である。そして、その鬱屈を解決するための簡単な手法は、残念ながら存在しない。しかし、上の引用部分で中島氏が述べたように、「社会を立て直し、多くの人の居場所を作る」ことは、一つの希望にはなり得る。

 「社会を立て直す」というとき、これを「政治の力で解決」しようとするのはかえって危険だ、という中島氏の指摘にも注目しておきたい。政治が「敵意のはけ口を設定する」ことで人々にカタルシスをもたらしても、解決にはならず、かえってより大きな暴力を引き起こすことになる。現代でも、一部の野心的な政治家が「既得権益を壊す」ことを声高に訴えて支持を得ているが、これはとても危険な動きだと思う。荒療治は危ない。ゆるやかな変革を目指さなくてはいけない。

タグ:読書 社会
Posted at 2023年05月18日 00:12:15
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