2024年05月18日

花たち・野菜たち

 アサガオのタネをまきました。ニチノウのタネです。品種名は何も書いてません。

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 「ヘソ」の反対側に爪やすりで傷をつけておくとよい、と言われています。やってみました。皮が硬くて、けっこう手こずりました。ホントに傷ついてるか??というレベルです。

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 今日はエンサイ(空芯菜)のタネもまきました。タネはアサガオとそっくりです。同じヒルガオ科だもんな。

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 さて、スナップエンドウは今年は豊作で、何度も食卓に登場しました。5月に入って早くも枯れ始めたので、タネ採りのさやを残しておきました。

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 さやの中から豆を取り出します。さやは乾いていますが、豆はまだかなり水分を含んでいます。しばらく風乾したあと、シリカゲルを入れた密閉容器で乾燥させる予定です。

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 スナップエンドウの跡地には、残渣を短く切ったものを敷き詰めて、半分土に埋めておきます。ここにはエンサイを植え付ける予定です。手前にルッコラとスイスチャードがいるのですが、こんなに近くで残渣を埋めて大丈夫かな? まあ、何事も経験です。

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 ミニトマトのプランターはこんな状況です。いい感じで育っています。今朝1週間ぶりに水をあげました。株が小さい間は、このぐらいのペースで十分なようです。寄せ植えしているスイートバジルとイタリアンパセリも少しずつ大きくなってきました。チャイブも一応いるのですが、細くて見えません。

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 丸プランターの方はこんな感じです。1 L ぐらい水をあげると、下のスリットから水が出てきます。長プランターの方はスリット式じゃないのでよくわかりませんが、2 L ぐらいかな。プランター栽培は久しぶりなので、いまいち感覚がつかめません。

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タグ:園芸
Posted at 2024年05月18日 13:46:58

2024年05月15日

「共同親権を廃案に」オンライン集会

 change.org の「STOP共同親権」にだいぶ前に署名したところ、「オンライン集会」のリンクが回ってきました。当日オンライン参加したのは300人ぐらいでしたが、その1人になりました。

 昨今の国内政治の動きには本当に憂鬱な気分になることが多いのですが、その正体が自分の中でだんだんと可視化されています。今回の共同親権の件では、「家父長制の復活」がキーワードです。子のいる夫婦の関係が悪くなって、どうにも修復できなくなって離婚に至る。その時、多くの場合は親権は母親に行く。そうすると、父親は養育費を払う役割だけになってしまい、母子の人生に干渉できなくなる。それは我慢できないから法律を変えて、強制的に父親が母子の人生に決定権を持てるようにしてしまおう。……こういう流れで提出されて、電光石火で審議・採決されている、というのが、最も腑に落ちる説明です。えらいメチャクチャな話ですが、父親の単独親権しか認められていなかった旧民法の世界に、少しでも近づきたい、というのが、与党自民党の総意なのでしょう(野田聖子氏を除く)。

 現代に家父長制を復活させて、一体誰が幸せになるのでしょうか。女性はまず全員不幸になります。また、男性でも、「配偶者や子の人格を尊重し、お互いに認め合って生きる」という真っ当な価値観を持っている人にとっては、家父長制など息苦しい以外の何物でもありません。家父長制を復活させて利益を得るのは、配偶者や子の人格など尊重せず、自分が男性であるということと、暴力や恫喝や脅迫しかすがるもののない男性だけでしょう。そういう人が存在することは認めなければなりませんが、その考え方を制度として肯定し容認するような法律は、通すべきではないと思います。

 上の動画のタイトルにある「はて?」というのは、NHK朝ドラの「虎に翼」の主人公、猪爪寅子(伊藤沙莉さん)の口癖です。初の女性裁判官になった三淵嘉子さんをモデルにしたこのドラマ、本当にタイムリーな内容になっています。「フェミニズムが鼻について不快」という感想を時々見かけますが、私は寅子たちが「女性のため」だけに闘っているとは全く感じません。一貫して「理不尽な事情のために抑圧されている人々」の側に立とうとしているのだと感じます。戦前の法制度のもとでは、抑圧されているのは圧倒的に女性だった、ということにすぎません。このドラマを見ていて不快に感じる人は、潜在意識にある家父長制への憧憬を正面から粉砕されるのがイヤなんじゃないかなと思います。その潜在意識は変えた方が自分も周りも幸せになれると思うのですが、まあそこは人それぞれなので、お互い言いっこなしというものですね。

タグ:社会
Posted at 2024年05月15日 23:23:03

2024年05月12日

「父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。」(ヤニス・バルファキス著、関美和訳、ダイヤモンド社)

 原題は "Talking to My Daughter about the Economy" なんですけど、訳書名の形容詞の羅列は何なんですかね。趣味が悪いと思うんですが、その方が売れるという出版社の判断なんでしょう。

 それはともかく、これは経済の本です。経済の本なのですが、政治と民主主義の本でもあります。著者は本書のプロローグの中で、次のように語ります。

誰もが経済についてしっかりと意見を言えることこそ、いい社会の必須条件であり、真の民主主義の前提条件だ。

(中略)専門家に経済をゆだねることは、自分にとって大切な判断をすべて他人にまかせてしまうことにほかならない。

本書2〜3ページ、下線部は原文では傍点

 そして、エピローグではこう語るのです。

大人になって社会に出ても精神を解放し続けるには、自立した考えを持つことが欠かせない。経済の仕組みを知ることと、次の難しい問いに答える能力が、精神の自由の源泉になる。

その問いとは、「自分の身の周りで、そしてはるか遠い世界で、誰が誰に何をしているのか?」というものだ。

本書241〜242ページ

 このプロローグとエピローグにはさまれた本文が、経済の仕組みについて、その成り立ちにさかのぼって解き明かしていきます。一つのきっかけは、著者の娘さんが発したとされる「なぜ世の中にはこんなに格差があるのか?」という問いです。格差が生まれた要因について、第1章でジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」に沿って議論が展開されますが、第2章から「市場社会」の成立へと話が進みます。以下、「利益と借金」(第3章)、「金融(中央銀行・国家・公的債務の役割)」(第4章)、「労働市場と短期金融市場」(第5章)と説明が続きます。特に、第4章・第5章では、市場社会が本質的な不安定さをはらんでいること、その不安定さが究極的には「人間らしさ」に起因することが明らかにされます。そうだとすると、救いはどこにあるのでしょうか?

 第6章以降は、「機械化」「通貨の管理(仮想通貨を含む)」「地球環境の破壊(を市場システムから見る)」という話題が続きます。「機械化」は、人間を奴隷労働から解放するかと思いきや、実際には一握りの人が富を独占し、他の人が機械を維持するための程度の低い仕事につき、貧困に苦しむ状況を作り出している。「通貨」については、中央銀行を持たないビットコインのような仮想通貨は、大規模な金融破綻に対抗する手段を持たないため、結局は政治と強く結びついた通貨の存在は避けられない。「地球環境の破壊」については、破壊が人類の存続を危うくするものであるにも関わらず、破壊と利益追求が結びついているため、「節度のない愚か者(ギリシア語でイディオテス)」は利益追求をやめられない。これらの問題に対して、著者は「すべてを民主化する」ことが一つの解になりうる、と主張しています。テクノロジーの管理を民主化する、通貨の管理つまり金融政策の決定過程を民主化する、地球の資源や生態系の管理も民主化する。これとは逆に、「すべてを市場化する」という方針も考えられるが、それは失敗する、と著者は断言します。

 このように、経済とその問題点を突き詰めて考えていくと、最後は民主主義の問題に行き着く、というのが本書の肝になっています。民主主義について語る他の書物と同様に、著者もチャーチルの言葉を引用します。

チャーチルのジョークを少し言い換えると、民主主義はとんでもなくまずい統治形態だ。欠陥だらけで間違いやすく非効率で腐敗しやすい。だが、他のどんな形態よりもましなのだ。

本書219ページ

 政治と経済はかくも不可分である。経済の問題は政治の問題であり、後者をよりよくしないと前者もよくならない。民主主義についても、もっと深く学ばないといけないなと感じました。

タグ:読書
Posted at 2024年05月12日 00:04:45
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