2022年03月05日

序曲「1812年」の演奏が各地でとりやめ

 チャイコフスキーの序曲「1812年」の演奏をとりやめた、という話が各地で上がっています。明石市のアマチュアオケ、小牧市のプロオケ。明石のオケは、演奏者が難色を示した、と報じられています。アマチュアの場合はそれで十分な理由になるけど、プロの場合はそれじゃ済まないから、もう少し明確な理由づけが要るよな、と思っていたら、「まいどなニュース」が取材して記事にされていました。

 ロシアのウクライナ侵攻にあたって、ロシアに対して国際的な非難が高まっている。その状況で、ロシアの戦勝を祝う曲である「1812年」を演奏することはふさわしくない、と、ここまでは理解できる。でも、その代わりに「フィンランディア」って、どうなんだろう。この曲は、帝政ロシアの圧政に苦しむフィンランドの国民を鼓舞する目的で作られた曲です。楽団側も、「ウクライナを応援したい気持ちをこめて選曲しました」と明言されています。その気持ち自体はもちろん理解できるし共感できる。だけども、「1812年」→「フィンランディア」の落差が大きすぎて、なんか釈然としないところがあるのです。

 そもそも、「1812年」を選曲した時点で、「ロシア軍大勝利万歳、みんなで祝おうぜ」と言っちゃってたわけですよ。この曲は、フランス国歌を虚仮にして、最後は大砲を鳴らしながらロシア帝国国歌を最強奏で鳴らす、というものです。そういう楽曲だ、とちゃんと意識して選曲してたんですか?と問いかけたくなるのです。そこはあまり深く考えずに、人気曲だから選んだ、ということなんだったら、「フィンランディア」に差し替えたとしても、同程度に軽い意味しか感じ取れない。そこに「ウクライナを応援したい気持ち」をこめられても、なんだか薄っぺらく感じてしまう。ついさっきまで「ロシア軍万歳」って言ってたよね?と皮肉の一つも言いたくなってしまう。意地悪すぎますかね?

 どういう対応が適切だったのかは、正直わからないです。私が当事者だったら、差し替えはもっとニュートラルな楽曲にした上で、普遍的な(反ロシアじゃなくて)「平和への祈り」をこめた短い曲を追加することを考えたかな。音楽の演奏は、それが「表現」である以上、何らかのメッセージを発するものです。「1812年」を演奏する予定だった、ということ自体が、すでに一つのメッセージになってしまっているわけだから、そこに何を付け加えるのか、というのが、大事なところだと思います。

タグ:音楽 社会
Posted at 2022年03月05日 14:55:26
email.png