映画「福田村事件」が今年9/1に公開されるということで、話題の本です。
関東大震災の時に起きた朝鮮人虐殺に乗じて、香川県から千葉県に来ていた行商人の一行が朝鮮人と間違えられて殺されたという、痛ましい事件の記録です。著者の辻野さんは、もともと千葉県流山市近辺の郷土史を専門にされているライターでしたが、ある時この事件のことを知り、「地元の人にはとても書けないから、あなたが書いてください」と背中を押されたそうです。福田村は現在の野田市の一部で、野田市と流山市は隣接していますから、辻野さんが「地元の人ではない」とも言えないと思うのですが、それだけ「狭い範囲」を単位として人間関係が構成されている、ということなのでしょう。
本書は、最初に日韓併合までさかのぼって話が始まります。この事件を理解するためには、関東大震災の朝鮮人虐殺について理解することが必要で、その背景として日韓併合のおさらいが必要だ、ということでしょう。近代史について不勉強な私には、この時点ですでに「初めて知る」ことがたくさんありましたが、国家間の条約が結ばれる経緯などはなかなかデリケートな部分を含むので、この部分の評価は保留にしたいと思います。専門の歴史書を読んだ方がよさそうです。
次に、関東大震災時の朝鮮人虐殺についての記述があります。このあたりから、当時の資料に基づいた記述が中心になります。余談だけど、関東大震災時の朝鮮人虐殺はなかった、と主張している人たちは、これらの資料についてはどう解釈しているんだろうか。たぶん半端じゃない量があると思うんだけど。
そのあと、ようやく福田村事件(または「福田村・田中村事件」)の記述に入ります。あまり本件と関係のない「どろんこ祭り」の話が長々と書かれているなど、構成的にはちょっとイマイチなところもありますが、ここでも当時の新聞資料や、生存者の手記などの物的資料を中心に話が進みます。この資料を集めるのは大変な労力だったことでしょう。著者のご苦労がうかがえます。
この事件(および類似の多くの事件)からの教訓は、どのようにして「普通の人」が「暴力装置」と化してしまったのかという経緯を学ぶことでしょう。福田村や田中村の人が特別だったのではなくて、どこの誰であっても、同じことは起こり得たと思うのです。重い問いが心に残ります:自分が同じような極限的状況に置かれたとき、人道に反する罪を犯すことに抗うことはできるのだろうか? 本書の中で、「デマだと知っていましたから」との理由で、虐殺されそうな朝鮮人を保護した人のエピソードが紹介されています。このような著作を通して、極限的状況での人間の行動を知って、潜在意識に植え付けておくことが重要だと感じています。