ウクライナの作曲家、セルヒイ・ボルトケビチ (1877-1952) の「悲歌」(作品46)を DTM 演奏しました。
きっかけは、「国境を超えたウクライナ人」著者のオリガ・ホメンコさんの下のツイートです。
今の状況を見たら作曲家のチャイコフスキー、ラフマニノフ、時にプロコフィエフは泣くよ。でも一番泣くのが昨日と一昨日苦爆されたハルキフ出身のセルヒーイ・ボルトケビチ。「国境を超えたウクライナ人」の1人の主人公。難民の1人。https://t.co/veCNF9yUBe#ウクライナ #音楽好き #音楽教室
— Dr. Olga Khomenko 「国境を超えたウクライナ人」群像社、2022年 (@olga_khomenko) March 2, 2022
ロシアによるウクライナ侵攻で、ウクライナ各地で起きている悲劇的な状況に毎日心を痛めています。オリガさんのツイートには、このような絶望的な状況でも、音楽を通してお互いを鼓舞するウクライナの人々の動画がいくつも紹介されています。ウクライナには音楽が好きな人が多いのでしょうか。この戦争で傷ついた人々の心が少しでも救われるように、共に祈りたいと思います。
さてこの曲、「悲歌」と題されていながら、嬰ハ長調で書かれています。「悲歌」は短調で書かれることが多いので、この点がまず独特ですね。また、嬰ハ長調という調性も独特です。現実を超越した夢想的なイメージを持ちます。この調を選ぶことで、「現実の悲しみを乗り越える祈り」が意図されているのかなと感じました。
曲は三部形式。第1部の中間部では、Ⅱ度調の嬰ニ短調に転調しますが、異名同音の変ホ短調で書かれています。ここは単に記譜の煩雑さを避けたのだろうな。
とはいっても、主調の嬰ハ長調に戻った時に、「辛い現実から救われる」感が強くあります。ここでわざわざシャープ記号を重ねて書いているところを見ても、視覚的効果は多少は狙っていたんじゃないかな、と思います。記譜の煩雑さだけを考えれば、前の小節の後半からシャープ系に戻した方が見やすいのですが、そうすると、この小節で「雰囲気が変わる」ことが譜面上で演出できなくなります。もっとも、鳴ってる音は同じなので、聴く方には何の効果もありませんけど……
中間部は繰り返しが多くて、残念ながら少し冗長です。だれないように演奏しないといけませんね。
最後は嬰ハ長調の主和音上で、天に昇っていくように静かに終わります。ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」の終わり方を想起させます。