2021年05月23日

オリンピックはもはや憎悪と軽蔑の対象でしかない

 星 暁雄 氏、yomoyomo 氏のツイッターより。

 全く同感です。すべての人に、夢を追求する権利はあると思う。しかし、一部の人の夢のために、なぜ「誰もが犠牲を払わないといけない」のでしょうか。しかも、「犠牲」というのは、文字通り人命の犠牲を含むのですよ。このような考え方の元に開催されるイベントには憎しみと軽蔑の気持ちしか持たない。イベントを強硬に推進しようとしている関係者、および反対の声を上げないスポンサーに対しても、同様です。

 アスリートの皆さんには、このイベントを推進する人たちによって「サポートされてきた」という経緯があるし、「今後の生活をどのように守っていくか」という問題もあるので、反対の意思表示を明確にして欲しいとは思いません。ただ、今回に限っては、「自分の『夢』を追うことが他人の『命の』犠牲を伴うかもしれない」という現実に対して、自覚的であって欲しいとは思います。それが、人としての矜持というものではないでしょうか。

5/25 追記:「誰もが犠牲を払う」というのは誤訳ではないかという指摘もあります(「東京五輪のバッハ会長「誰もが犠牲」発言は翻訳ミスでは?」篠原修司氏、Yahoo!個人)。しかし、原文の「we」が「五輪を開催する関係者全員」を指すことは明白です。そして、バッハ氏はこれまでに「日本人は忍耐強い(から五輪を開催できる)」などと、何度も「日本人が五輪を開催する」という立場から発言をしてきています。従って、当然ここでの「we」に日本国民は含まれていると解釈すべきでしょう。IOC は「犠牲を払うべきなのは五輪関係者であって、日本国民は含まれていない」と弁明していますが、IOC のこれまでの立場と全く整合しておらず、日本からの予想外の反発を受けてひねり出した苦しい言い逃れにしか見えません。

タグ:社会
Posted at 2021年05月23日 15:25:00
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