2021年03月20日

「人新世の『資本論』」(斎藤幸平著、集英社新書)

 話題の本を読みました。非常におもしろかった。ほぼ一気読み。

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 本書はいきなり、「SDGs は『大衆のアヘン』である!」という煽りで始まる。つい頭に血が昇ってしまうが、辛抱して読み続けるべし。全般的にこの本は、そこかしこに煽りが入っている。それらをスルーするつもりで読んでいかないと、偏った読み方になってしまう。

 本書は、資本主義の限界がすぐ目前に迫っている、と説く。そして、その解決案となるのが、「脱成長コミュニズム」だ、と主張する。「資本主義の限界」を説明するために、主に温暖化問題が取り上げられている。「温暖化対策」を進めながら「経済成長と両立させる」のは不可能だ、という立場だ。ただし、資本主義の限界を示しているのは、温暖化問題だけではない。より本質的なのは、「地球の有限性」である。資本主義のもとでは経済成長を無限に続けるほかないが、それは地球の有限性と相容れない、というのが根本にある。これは、環境活動家のグレタ・トゥンベリ氏の主張と本質的に同じである。グレタ氏は、あまりにも極端な行動(飛行機に乗らないとか)が災いして、広く受け入れられるには至ってないけれども、その主張には傾聴すべき点が多々あると思います。

 地球環境の問題というのは、本質的にはエントロピーの問題だと思うのですね。まず、1個の生命体が「生命を維持する」ことについて考えてみる。生命体は一定の秩序を持っている。細胞がある一定の規則に従って配列していて、その中にも核や細胞小器官がそれぞれ存在している。これを放置していると、分離している細胞膜が崩れて、秩序が崩壊してしまう。崩壊を食い止めるためには、エネルギーを消費して、壊れそうな膜を修復し続けることが必要。ここでいう「エネルギー」は、実は物理学の言葉では「自由エネルギー」で、エントロピーの寄与が大きい。生命体は、その活動に伴って外界との物質・エネルギー交換を行い、外界のエントロピーを増大させることで自分の秩序を維持している。

 これを、人間の社会的活動に無理やり当てはめてみます。社会の「外」から物質とエネルギーを受け取り、廃棄物を「外」に捨てることで、「中」の秩序を保っている。ところが、地球全体が一つの社会になってしまうと、「外」が存在しないわけですよ。現在は、自分からどこか遠く離れた場所(グローバル・サウス)を「外」とみなしている。しかし、世界的な人権意識の高まりを前提にすると、この構図がいつまでも続くことはあり得ない。

 唯一の解は、地球全体を一つの「中」と見なして、地球の「外」からエネルギーを受け取り、排熱を「外」に捨てることで、「中」の秩序を維持すること。地球外との物質の交換は現実的ではないから、エネルギーだけの交換になる。エネルギーの交換だけで秩序の維持が可能なのか?と疑問に思うかもしれないけど、「外」から受け取るエネルギーは太陽光で、「外」に出す排熱とは大きな温度差がある。理論上は、この温度差を元にして、「中」の秩序を維持することは可能です。実際、人類誕生以前は、地球の生態系はこの仕組みで秩序維持をやってきた。

 もう一つ、「外」とみなしうるものがある。それは、地球内部に溜め込まれている熱エネルギーです。これも、地表との温度差によって、秩序維持に貢献できる可能性がある。これ以外の「再生可能エネルギー」はすべて太陽光由来です。

 晩年のマルクスが、リービッヒの「農芸化学」に注目していたそうだ。これはまことに慧眼で、社会秩序の維持を考えるにあたって、自然科学の視点は無視できないということだ。ただ、リービッヒの時代と比べて、自然科学の知見は大幅に拡大されている。著者のように、現代にマルクス晩年のアプローチをたどって新しい社会の仕組みを探ろうとするなら、改めて現代の自然科学を見直して、取り入れる必要はあるだろう。

タグ:読書 社会
Posted at 2021年03月20日 16:14:19
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