2026年04月04日

「空色心経」(こうの史代作、朝日新聞出版)

 「般若心経」をモチーフにした漫画です。主人公が生きる現世は黒の線で、観自在菩薩が舎利子と対話する古代インドの世界は青の線で描かれる「二色コミック」というのが売り?です。こうの史代さんには、作画技法を隠しテーマにしている作品がけっこうありますね。「ぼおるぺん古事記」もそうだし、「この世界の片隅に」や「長い道」にもそういう部分がある。なお、黒の線にも2種類のタッチがあって、使い分けられています。

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 舎利子が観自在菩薩に「お兄さん」と呼びかけていて、観自在菩薩は男性の設定のようです。私は女性のイメージを持っていたので、どういうことだろうと思ってネット検索したところ、ものすごい量の情報が出てきて、ああこれは迂闊に語ったらアカンやつやな、とそっ閉じしました。仏教は奥が深い。

 本書では、現世と仏様の世界は隔絶していますが、主人公が般若心経手ぬぐい(比叡山延暦寺のお土産とみられる)を持っていることを通して、2つの世界が微かにつながっています。主人公には「青色の世界」が少しだけ見えているようです。

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 コロナ禍を思わせる鬱々とした現世で、秘かに苦しみを抱える主人公。観自在菩薩が仏の世界から優しく語りかけます。

その手にあるのは何だ
恐怖なのか
開いてそれを眺めてごらん
別に消さなくたっていい
ただ恐れなければいいだけだ

本書90ページ

 「別に消さなくたっていい」というのは、般若心経の原文に書かれているのでしょうか、それともこうのさんの解釈でしょうか。私はこの一言がとても好きです。恐怖や不安を「消そう」とするのは、苦しいことです。「消さなくたっていい」と受け入れると、少し心が楽になります。

その悲しみはもうきみだけのものではない
そう気づけば
心はやがてのどかな海にたどりつく

本書98-99ページ

 主人公は般若心経を唱え、観自在菩薩と対話し、真言(呪文)「羯諦羯諦(ぎゃーていぎゃーてい)……」にたどり着いた時、仏の世界を垣間見ます。「笹舟」が大事なモチーフになっています。

 苦しみと向き合い、浄化されるプロセスは、普遍的なものです。長く語り継がれてきた般若心経には、それだけの力があるんですね。多くの創作者が般若心経に触発された作品を作ってきましたが、また一つの優れた作品がそれに加わった、と思いました。何度も繰り返し味わえる名品です。

タグ:読書
Posted at 2026年04月04日 19:05:16
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