2024年04月20日

映画「戦雲(いくさふむ)」

 ナゴヤキネマ・ノイで見てきました。ほぼ満員!

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出典:eiga.com、「ポスター画像」 https://eiga.com/movie/100996/photo/

 沖縄県先島諸島に自衛隊の施設が次々と作られ、「要塞」化している現実を伝えるドキュメンタリー映画です。その変化を地元の人たちがどのように受け止めているのか、丁寧に描いていきます。

 本作で描こうとする内容を象徴するのが、この言葉でしょう。

多少の犠牲は仕方がないさというときの、「多少」のなかに、私たちが入っているよね?

 この言葉にある「私たち」は、先島諸島の人たち、だけではない。「国を守る」といいつつ、守ろうとしているものは何なのか。守るために、捨てようとしているものは何なのか。映画の中で、島から出撃した特攻隊員の話が出てくる。「不死身の特攻兵」(鴻上尚史、講談社現代新書)にある通り、特攻を命じた上官は、「最後に自分も出撃する」などと言っておきながら、自分は早々に逃げ出す。「国を守る」というとき、守られる対象は「偉い人たち」だけであって、あなたや私ではない。

 中国が領土拡大の野心を隠そうともしていない、という現実は確かにある。ただ、「台湾有事に対抗する」というのは、対米従属の枠組みの話で、日本の国土を守る、という話とは少し違う。アメリカが台湾を守るために、在沖米軍基地から軍事行動を展開し、それに自衛隊も協力する(もはや後方支援だけでは済まなくなっている)。結局アメリカと中国の覇権争いの先兵にさせられてる、ってことだよね? つまり、結局守る対象は「アメリカの偉い人たち」だけ、ということになる、のか?? んなアホな話あってええんかいな。

 では、戦争を回避する手段はあるのか?というと、これはまた難しい問題で、簡単に答えが出そうな話ではない。戦争そのものについて、もっと知る必要はあるな、と思っています。この映画の中でも、反対運動に携わっている人が「小さい時は戦争のことなんか知るのもいやだった、でも今はすっかりオタクになってしまった(笑)」と言っておられた。戦争を理解しない者が平和を語ることはできない。自分も勉強しようと思います。

タグ:映画 社会
Posted at 2024年04月20日 20:45:06
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