2022年06月11日

ブラック部活としての吹奏楽部

 吹奏楽部の「ブラック」ぶりについて、取り上げられることが増えてきました。生徒さんが自殺するなど、痛ましい事件が発生していることが、背景にあります。

 上記の記事の著者は、吹奏楽を「音楽」の一形態と考えた上で論考されています。しかし、現状の「コンクール吹奏楽」は、音楽ではなくて、団体スポーツです。「コンクールでの勝利を目標としている」吹奏楽部は、文化部ではなく、体育会系の運動部に分類すべきものです。「ブラック部活」問題として吹奏楽部を考えるときは、音楽云々の話とはいったん切り離した方がよいと思います。「行き過ぎた勝利至上主義」の弊害として、他の体育会系の部活動と同様に扱うべきでしょう。

 一方、吹奏楽を「音楽」として考える場合は、上記記事にある以下の視点が重要です。

そして学生ブラスバンド問題を複雑にしているのは、吹奏楽というジャンルの位置づけです。当然オーケストラではないし、軽音楽部でバンドを組むのでもない。どちらかと言えばクラシック音楽っぽい雰囲気だけど、そこまで伝統的な指導法があるわけでもない。なのに、妙な覚悟を要求される特別感を醸し出している。

 「音楽ジャンル」としての吹奏楽は、なんとも中途半端なのです。「クラシック音楽っぽいけど伝統を欠く」ことに加えて、「軍隊」および「体育会系応援団」(「應援團」?)との深い関わりもあります。一般の人が吹奏楽の音を耳にする最大の機会は、高校野球のアルプススタンドの応援でしょう。あれは、スポーツ観戦の一要素として楽しむものであって、「音楽」だと思って聴くものではありません。同じように「楽器を使って音を出している」ものであっても、目的が全く違うわけです。また、「吹奏楽コンクール」も「音楽を追求している」というよりは、「どれだけ技術トレーニングを積んだかを競う」大会になっています(この点については以前にも書きました)。

 私自身は、全く多数派ではないことは自覚していますが、「独立した音楽ジャンルとしての吹奏楽」があってほしいな、とずっと思っています。スポーツの応援のためではなく、コンクールで勝利を目指すためでもなく、音楽を音楽として楽しむための吹奏楽、です。基本は「クラシック音楽っぽい雰囲気」を目指すのだけれども、管楽器は弦楽器と比べて習得のハードルが低いので、英才教育を受けた人でなくても参入できるのです。音楽の裾野を広げるという点では、とても有用なジャンルだと思います。

 ただ、単なる仲間づくりのサークルではなくて、真剣に音楽を目指すものであってほしい。真剣に音楽を目指すならば、当然そこには厳しさが求められます。その厳しさは、「上下関係」とか「過労死ラインを超えた練習時間」とは全く質が異なります。美しい音を出すことと真剣に向き合うと同時に、自分の精神性とも向き合わなければなりません。上記記事からもう一つ引用します。これは、チェロ奏者イッサーリスの言葉とのことです。

本をたくさん読んで教養を身につけ、あらゆる芸術への評価眼を養って、幅広く文化的な素養をそなえることは、とてつもなく大きな満足とわくわくする高揚感を得られるのと同様に、重要だ。

 このような芸術的素養を自ら涵養した指導者が、音楽好きの生徒たちにそれを伝えることができる機会があれば、どれだけ素晴らしいことかと思います。中高の吹奏楽部では、これはなかなか難しい。コンクール至上主義で育った人が、大学で(音楽でない一般科目の)教員免許をとって教育現場に戻ってくる、という再生産構造があるため、「コンクールで勝つこと」以外の目標を設定することは困難ではないかと思います。コンクールの価値観が変わればいいのですが、それも難しい。いわゆる「市民吹奏楽団」が「音楽ジャンルとしての吹奏楽を普及させる」場になってくれればいいんですけどね。

タグ:社会 教育
Posted at 2022年06月11日 10:11:24
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