享年83歳。あらゆる方面ですばらしい才能を発揮した人だった。思い出す作品はたくさんある。印象深いのは、谷川俊太郎さんとのコラボ作品。絵本の「これは のみの ぴこ」や「ともだち」、「けんはへっちゃら」など、エッセイ集の「ナンセンス・カタログ」、それからショートショートの「ペ」もそうだったんじゃないかな(手元にないからわからん)。もちろん、単著もすばらしい。「倫敦巴里」には衝撃を受けた(と同時に思い切り笑った)。私は洋画をほとんど見ないので、映画関係のところはよくわからんかったけどね。
すごく好きなエピソードが一つある。丸谷才一さんのエッセイ(「男ごころ」収録)に書かれていたものだ。プロ野球の西武ライオンズのロゴマークは手塚治虫氏によるものだが、その制作がライト・パブリシティ社に依頼された時、和田さんは同社とつきあいがあったそうだ。
「ですから、もしあのとき、ぼくにやらせろと頑張つたら……」
(丸谷才一「男ごころ」 新潮文庫)
「なるほど」
「……西武は今ほど強くないかもしれませんね」
と和田さんは謙虚である。奥床しい。
いつかは来る別れの時だが、やはり寂しい。安らかにお眠りください。