猛暑にも関わらず、丸善名古屋店に行ってきた。買ってきた本の一冊がこれ。妻が旧版を持っていたのだが (「1983.4.14.」とメモが残っている)、今の私たちには小さい活字が辛いので、買い直し。
遠藤周作は「狐狸庵先生」のイメージが強く、阿川佐和子さんなどは(たびたび阿川家を訪れる遠藤氏のことを)コメディアンだと思っていたとの逸話がある。けれども、小説作品を読むと、稀代のストーリーテラーであることがよくわかる。一気に読んでしまった。最後の「役人日記」のところはよくわからなかったので、読み直さないといけないけど。
映画化で広く知られるようになった通り、この作品は、ポルトガルから禁教時代の日本に密航し、迫害の末棄教を強いられた司祭の物語である。「まえがき」では、歴史書のように客観的で淡々とした筆致で、主人公が日本にたどりつくまでの経緯が語られる。一転して第二部では、主人公の手記という形で、この地での密かな布教と、それに伴う内面の葛藤が描かれる。第三部はふたたび第三者視点の記述に戻り、捕らえられた後の司祭の様子が描かれる。そこには、尋問者との宗教的な論争も描写される。
私は異教者なので、正統的なキリスト教の教義から見て、本作で描かれたキリスト像がどのように見えるのかはわからない。しかし、作中で転向者の科白として書かれる「日本ではキリスト教の教義は根付かない」という考えについては、日本人のキリスト者である作者自身が持ち続けた疑念だったのだろう、と推察できる。作中で、尋問者であり転向者でもある井上肥後守は、司祭を失った日本の切支丹たちは、本来のキリスト教とは似ても似つかぬものを信奉し続けるのだろう、と看破した。実際、一部の「かくれキリシタン」の人たちは、禁教が解けてからもカトリックに復帰しなかった、という歴史的事実がある。
【世界が認めた「長崎・天草」の不都合な真実】 世界遺産登録から「生月島」が外された理由 : https://t.co/f195EvSLdp #東洋経済オンライン
— 東洋経済オンライン (@Toyokeizai) 2018年7月6日
本作は 2016 年に映画化された。Wikipedia によると、1991 年にすでに、生前の遠藤氏とマーティン・スコセッシ監督が映画化についての意見交換をしていたそうだ。上記の「潜伏キリシタン関連施設の世界遺産登録」とも合わせて、今ふたたび読み返すにふさわしい小説だと思う(私は初見でしたが)。
ところで、遠藤氏の小説では「大変だァ」がなかなかに異彩を放っているのですが、今は文庫版では絶版のようですね。放射能を浴びて性転換するとか、ちょっとマズい描写が多いからなのかな。