もうこの話は終わりだな、と思っていたのだけど、どうも小保方さん個人を叩く声が大きくなっている気がするので、一言書いておきたい。今回の件について、「科学的な」責任は小保方さんにあるけれども、「社会的な」責任はまた別の話だと思う。「科学的な」責任については、論文を撤回し、学位を返上し、理研の研究職を辞して、(学位を取り直さない限りは)研究者としての再就職をしないことで、果たすことができる。それとは別に、「社会を騒がせたこと」についての責任については、小保方さん個人ではなく、小保方さんを担ぎ上げた理研と、それに乗って大騒ぎをした各種メディアがとるべきではないかと思う。「小保方さんは謝罪会見をすべきだ」というのはちょっと違う。
メディアも責任を負うべき、と考えるのは、この話は最初からもっと抑制的に報じるべきだったからです。生命科学の専門知識がなくても、科学史について一定の素養がある報道記者なら、最初に聞いた時から「これは誤報・捏造の目があるかも知れん」という感覚があってよかったはず。そういう感覚は、文科系の人(=おそらくメディアで多数派を占める)の得意なところではないのか?
また、「ウソの研究に使った税金は(小保方さんが)返すべきだ」というのもどうもずれている。最先端の科学研究においては、「ウソみたいな夢物語」と「画期的な大発見」は紙一重の差しかなく、あらかじめそれらを区別して投資することは極めて難しい。裏を返せば、「画期的な大発見」が起きることを期待して資金を投入するのであれば、結果として多くの場合に「あれは単なるホラでした、ごめんなさい」という結果に終わることは織り込み済みでなくてはならない。もちろん、援助を受けた研究者が「ホラがホラでなくなるように」全力を尽くすべきなのは当然だが、その研究者が全力を尽くしたかどうかを第三者が検証することは極めて難しい。実質的に、「人物を信用して」任せるしかないのだ。だからこそ、博士号の審査や理研の採用人事の際に、小保方さんがそれにふさわしい人物であるかどうかを慎重に吟味すべきだった。税金が無駄になったことに対して責任を負うべきなのは、これらの審査における責任者だと思う。(研究費の不正使用が見つからない限り賠償責任はないだろうけど、学位審査資格の停止や今後の補助金の削減など何らかのペナルティはあってしかるべき。)