2013年05月02日

辻井さんの奔放

 先日の中日新聞で、長谷義隆記者が辻井伸行/佐渡裕のチャイコフスキーピアノ協奏曲の演奏を辛口批評していた。勝手にカデンツァを入れたり装飾音を加えたりした「奔放すぎる」演奏で、「再現芸術」としてのクラシック音楽としてはふさわしくないのではないか、と。僕は辻井さんのクラシック音楽演奏を「楽譜べったりで何の工夫もない」と感じていたので、この評はちょっと驚きだった。辻井さんは新境地を拓こうとしているのかな。長谷さんの評は行間に「辻井/佐渡コンビのイケイケな売り込みに辟易している」様子が感じられるのだが(僕が勝手にそう読み取っているだけかも)、それはそれとして、音楽家が自由奔放を目指すんだったら放念してあげればいいんじゃないかなと思った。まあ、この曲に勝手なカデンツァや装飾音を入れたら、極めて高い確率で趣味の悪い独りよがりな演奏になりそうな気がするけど、この演奏がたとえそうだったとしても「今回の演奏は趣味悪すぎてダメだ」と言えばいいわけで、「クラシック音楽はかくかくしかじかであるべき」と枠にはめる必要はないでしょう。

音楽の中身がダメダメな人に限って「音楽は自由であるべきだ」と自己弁護をする傾向がある、という面倒臭い現実は確かにあるんだけどね…

タグ:音楽
Posted at 2013年05月02日 01:38:37
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