2013年09月10日

2020東京

 決まってしまいましたね。イスタンブールでやってほしかったけど、隣国シリアがあの状況ではいかんともしがたい。スポーツ観戦は好きだし、オリンピックは普段目にしない競技にいろいろ出会えるので楽しみではあるのだが、自国でやるとなるといろいろと大変そうだなあ。経済効果なんて言っても一部の業種だけだろうし、「国民の祭典として盛り上がる!元気になる!!」って言っても、1964年の時と違って人々の考え方もさまざまだから、みんなで同じ方向を向いて盛り上がるなんて無理でしょう。

 そうはいっても、期待したいこともいくつかはある。一つは、首相が事実上「国際公約」した福島原発事故の完全収束。いいですか、今までの「収束宣言」みたいな嘘ゴマカシじゃなくって、7年後に「ほら、言った通り、ちゃんと解決したでしょう」と誰に向かってでも胸を張って言えるように、ちゃんと政府が責任もって進めてくださいよ。今回のプレゼンだってちょっとごまかしてたよね? あんなのは7年後には許されんよ。もう一つは、夏期冬期合わせて4回目のホスト国として、成熟した大人としてのおもてなしを世界に発信したい。「みんなが同じ方向を向いてるお祭り(≒ヨソ者を排除する未熟者の集まり)」じゃなくて、あらゆる人を尊重し包容するイベントにしてほしい。他国の人が不愉快になるような応援パフォーマンスなんかは願い下げだ。パラリンピックを本体に負けずに盛り上げる、ぐらいのことは当然してほしい。そういう大きな包容力を持ったイベントとして2020東京が位置づけられれば、「どこの国の話なんだろう」と語っておられる東北の人々に対してでも、何かの力になれるのではないかと思う。

 招致プレゼンの動画見ましたか? 少年がバスケットボールをしているシーンから始まるやつ。あそこには、スポーツのすばらしさと同時に、多様性を認めようというメッセージがこめられていますよね。招致が終わったからもういいや、じゃなくって、7年後は東京は(日本は)そうなりますよ、という気持ちを持っておきたい。今はまだまだなんだよね。招致に関して政治家がいろいろぶざまな発言をしていたのを見ればよくわかる。残念だけど、今はあれが私たち日本国民のレベルということ。1964東京は日本の経済レベルの向上に役立ったとされるが、2020東京では文化レベルの向上を目指しましょうや。

タグ:社会
Posted at 2013年09月10日 00:55:40
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